2012-05-20

邯鄲


あらすじ
蜀の国の青年蘆生は、楚国の羊飛山へ求道の旅に出て邯鄲の里で泊まり、宿の女主人の勧めで「邯鄲の枕」で眠る。夢の場となり、勅使が現れて、蘆生は楚の帝位につき五十年の栄華を極める。壮大な宮殿、不老長寿の酒、舞童の舞、自らも月世界の人として舞を舞うが、やがて夢は覚め、女主人が粟飯が炊けたと告げる。五十年の栄華も一炊の夢、この世は夢の世と知り、枕に感謝し、蘆生は故郷に帰った。

次第  シテ
憂き世の旅に迷ひ来て  憂き世の旅に迷ひ来て
夢路をいつと定めん

憂き世の旅に迷いながら暮らして来て 人生のつらい旅路にどうしてよいかわからずに生きて来て
この迷いの夢が覚めるのをいつと定めることができようか

(ひとこと)
実際の旅に迷いの多い人生を重ねています。「旅と憂き世」は連歌的なつながり。
求道は人生を知らない青年の特権でしょう。テーマの一炊の夢の「夢」が旅につながって「夢路」。

結末  地謡とシテ
つらつら人間の有様を  案ずるに
百年の歓楽も  命(メイ)終れば夢ぞかし
五十年の栄華こそ  身のためにはこれまでなり
栄華の望みも齢の長さも  五十年の歓楽も
王位になればこれまでなり  げになにごとも一炊の夢
南無三宝南無三宝  
よくよく思へば出離を求むる  知識はこの枕なり
げにありがたや邯鄲の  夢の世ぞと悟り得て
望み叶へて帰りけり

一炊の夢には一睡の意味もあり。
南無三宝は感動詞。蘆生が「仏法僧」の三宝に帰依する意味で、悟りを得たことを表します。
「知識はこの枕なり」の知識は、曲の冒頭、旅が知識(善知識)を求めてのことであることに対応。

(ひとこと)
つらつら・・案ずるに・・げになにごとも・・よくよく思えば・・げにありがたや、百年の歓楽、五十年の栄華と繰り返しが多いように感じます。もう少し簡潔に、いやかんたんに。
曲の見どころは栄華の数々です。その絶頂で夢が覚め、決して栄枯衰勢の没落を見せないことろがポイントかもしれません。
中国の故事を日本風にアレンジしたようですが、明るい雰囲気はやはり唐物。